主 宰 田中 春生
名誉主宰 有山八洲彦
師系 鷹羽狩行
平成3年11月、有山八洲彦が奈良市で創刊。
感性の切先と境涯の重さを底に沈め、香気ある表現を目指す。
誌代1部1000円(見本誌謹呈)
初心者歓迎 特に堺市・大阪狭山市で新会員募集中
春生俳句季節の一句⑥ 西宮 舞 「朱雀」2019年11・12月号
蕪畑 田中春生 「朱雀」2019年11・12月号
11・12月号 風韻抄 (春生抽)
鞄より干菓子取り出し夜学生 田中 清司
鞠庭に若葉の影のはづみけり 田中 美幸
素泊りの妻籠の宿の冷し酒 蓮井いく子
吊られたるパブのグラスや灯の涼し 山越 桂子
街ひとつ丸洗ひして夕立かな かざみ 漣
黄の色は力生む色麒麟草 河村 淑子
秋の薔薇棘をあらはに咲きにけり 關 茂子
新聞を騒がせてをり扇風機 建林 成治
天高し大阪城の人の列 清水 若子
噛みしめて唐黍一粒づつ甘し 定師みき子
秋の蝉五右衛門風呂の湧きにけり 末田 咲子
野晒しの車重なりきりぎりす 西川 孝子
一木のはち切れさうな蝉の声 野村香代子
淋しさに羽黒蜻蛉の翅拡ぐ 濱上 聡
顔見えず御輿に足袋の犇いて 平尾 徹美
句はすべて人を恋ふもの吾亦紅 湯浅 芳郎
立秋や青に変はりしリトマス紙 安藤えいじ
ががんぼの脚を拾ひに戻りしか 西本 睦子
負けて来し少年の背とサイダーと 犬塚 智子
しやらしやらと水筒満たし岩清水 小林 冴子
11・12月号 句味抄出 田中 春生
鞄より干菓子取り出し夜学生 田中 清司
夜間高校かあるいは中学か。休み時間に鞄から取り出したのが干菓子であることに意外性がある。昼間の勤労を終えて登校し、空腹を満たすためのパンなどであるならば、この飄逸さは生じなかったに違いない。年配の落ち着いた夜学生の余裕のある所作が想像されてくる。どんな干菓子かは示されていないが、教室の秋の灯に淡々とした色彩が浮かび上がる落雁のようなものが思い浮かぶ。
街ひとつ丸洗ひして夕立かな かざみ 漣
わざわざ言うまでもなく「丸洗い」というと、部分的に洗うのではなく、全体を盥や洗濯機に抛り入れて洗うこと。この句、なんと街全体を丸洗いするというのだ。本来は街を「丸洗い」するという言い方は絶対にしないことだろう。しかし、夕立の勢いの激しさを思えば的確な表現になっていることが面白い。本来とは違う異質語の表現が効果を上げる好例である。
黄の色は力生む色麒麟草 河村 淑子
麒麟草は丈夫で育てやすい宿根草。明るい黄色の花が輪のように咲く。その色彩の明るさに力強さを感じ取ったのだ。色そのものが力を生む働きを持っていると捉えたところが秀抜。黄の色の持つ本質をズバリと言い止めた作品である。
秋の薔薇棘をあらはに咲きにけり 關 茂子
大きくしっかりとした葉が沢山にあれば、薔薇の鋭い棘も隠されて目立つことはない、逆に言えば、隠されているから棘にうっかりと傷つけられてしまうことにもなる。葉も花も夏のものに比べると小ぶりとなったために棘が目につく秋の薔薇。棘を目立たせてみずからを守らねばならぬ弱々しさを持つかのようだ。
野晒しの車重なりきりぎりす 西川 孝子
不用になったものがそのまま野晒しにされることは昔からよくあったこと。しかし、それが重ねられた自動車であることで、俄然現代的な様相となるのが面白い。きりぎりすの声の中、生あるものとの対比として汚れた金属の塊が存在感を強く示している。
一木のはち切れさうな蝉の声 野村香代子
蝉がもうこれ以上ないかのように鳴きしきっているのである。その声は目前の一本の木から発せられているのである。まるで蝉の声によって幹も木全体も膨らんではちきれんばかりのよう。音が何か嵩のあるようなものとして捉えられているのが斬新な作品である。
顔見えず御輿に足袋の犇いて 平尾 徹美
大勢の氏子たちに担がれている様子が活写されている。担ぎ手が肩と肩を重ねるようにして密集しているので、担ぎ手の肩と腕に隠されてしまって、その顔がまったく見物客の方からは見えないのだ。ところが御輿からはにょきにょきと生えるように足が伸びていて足袋の白が踏み場もないほどに犇いているのである。
立秋や青に変はりしリトマス紙 安藤えいじ
リトマス紙は、学校の簡単な実験で馴染みのもの。誰もが使った経験があると思う。それでいて俳句に持ち込まれると不思議な感興が湧く。秋を表現する色彩は白であるという固定化を取り去り、暑い夏を象徴する赤からの変化が詠まれている。
ががんぼの脚を拾ひに戻りしか 西本 睦子
蚊よりもずっと大きく、足は長くもげやすいのがががんぼの特徴。その飛び方も体の大きさを持て余すかのようにフワフワと上下動が大きく、何を目的に飛んでいるのか分からないところがある。対象に心を添わせて、その特徴を見事に捉えた作品である。
負けて来し少年の背とサイダーと 犬塚 智子
まるで、清涼飲料水の夏の光に満たされたCMの動画を見ているような作品。汗のシャツが張り付いた少年の猫背気味の背中と泡の上がるサイダー。その二つが輝かしい夏の一場面を鮮明に伝えてくる。口惜しさを経験して少年はまた成長していくに違いない。
しやらしやらと水筒満たし岩清水 小林 冴子
水筒に岩清水が満ちていく水の動きや質感を「しやらしやら」という擬音語で巧みに表現した作品。決して多くはない量でありながら、流れいる水の速さが鮮明に感じとれる擬音語となっている。「さらさら」ではないところに、水筒と流水とが接触し、水筒が共鳴する臨場感と清涼感が生れているのだ。
春生俳句季節の一句⑤ 西宮 舞 「朱雀」2019年9・10月号
虫すだく 田中春生 「朱雀」2019年9・10月号
春生添削例 (右=原句 左=添削句) 11・12月号、1・2月号手毬集・朱雀集より